【4月7日更新】
■'50年代、'60年代の通販模様
●日本に通販が育たなかった理由
アメリカでの通販は、都会を離れて住む農民たちに商品を安く供給することで成長しました。しかし、日本ではこのような商売はできませんでした。なぜなら通信コストつまり郵便料金が高いからです。米国では都市部だけでなく農村でも無料郵便制度や小包制度が敷かれていたため、ディスカウント価格の通信販売が成立したのです。
何度も言いますが、日本の公営インフラ使用料は高額で、いつもいつも新しい産業の芽生えを妨害してきました。郵便料金だけでなく、旧電電公社の電話料金と保護施策は、パソコン通信やインターネットの普及を著しく阻害しました。公営ということは国民の税金で作ったものなのに、この使用料金の高さがアメリカや韓国のネット社会との国際格差を作ってしまった最大の要因です。
●復興の兆しは通信教育から
さて、戦後の日本の通販は、まず通信教育が先導しました。勤勉な日本国民は、第二次世界大戦以前からの、息苦しいほど統制された社会や教育から解放され、復活の足がかりとして様々な学習に意欲を燃やしたのです。
'54年に東京高等人形学院(後の日本通信教育連盟→日本文化センター)と東洋ペン字学会(後の総合通信教育センター)が事業を開始し、'65年には東京音楽アカデミー、東京子ども教育センター(現在のカタログハウスの親会社)が設立されています。
●アメリカへの憧れ
また、正しい報道ができるようになると、欧米の豊かな文化や自由な生活が明らかになりました。また、駐留するアメリカ兵たちの明るい国民性を見たり、テレビ放映されたアメリカのホームドラマで、その豊かな生活を見るにつけ、日本人はアメリカへの憧れを持つようになりました。前回ご紹介したリーダーズダイジェスト(JRD)は顕著な例ですが、憧れは容姿にまで及んで隆鼻器が人気を集めました。また、小さく華奢な体格にコンプレックスを感じ、身長を伸ばす器具が話題になったり、'67年には逞しい肉体を作り出すブルワーカーが日本メールオーダーから発売され、ロングセラーになりました。
●文化を求める余裕ができた
生活に余裕が生まれてくると、人々は文化的なものを求めるようになりました。JRDがレコード通販で輝かしい成功を収めたことから、'62年には日本メールオーダーがコンサートホール・ソサエティを設立。'64年にはワールド・ファミリー、'66年には現在のコロムビアファミリークラブも立ち上がりました。さらに、'69年には東芝EMI、'71年にはソニーファミリークラブも後を追っています。
また、こうした洋楽ブームを的確に捉えて、'67、'68年に二光が音響機器やギター、トランペットをヒットさせました。さらに、'75年にはエレキギター、アンプ、ステレオ等を販売し、大学生や高校生を中心にしたフォークやロックのバンドブームを巻き起こしました。
●海外企業も続々上陸
この時期、海外企業も続々進出してきました。'72年には米国のフランクリン・ミントコーポレーションが上陸し、メープル金貨や工芸品などを販売しています。その後も様々な企業が日本に進出してきましたが、'93年には米国のアパレルメーカー、ランズエンドが日本法人を設立して通販を開始しました。このランズエンドは、本国で行っていたギャランティ・ピリオド(いついかなる時にどんな理由でも交換可能なシステム)を持ち込んで、日本の通販各社は脅威を感じたものですが、意外なほど現在も低迷しています。
●成功したのは合弁企業
外国企業が日本で成功した例は、ほとんどが日本企業との合弁です。'71年にCBSが合弁でソニーファミリークラブをスタートさせ、'87年には住友商事とドイツのオットー・フェルザンド社が住商オットーを設立しました。
また、出版社系では、JRDの成功を見て'69年にTBSブリタニカが誕生。'75年にブリタニカ国際大百科事典を刊行し、'86年にはニューズウィーク日本版を発刊しています。なお、TBSブリタニカは、JRDの失敗に学び、長期購読者への優遇を、価格も含めて実施しました。
●通販参入企業と社会情勢
戦後の通信販売参入企業と社会状況を検証してみましょう。
終戦の翌年'46年にJRDが日本進出を果たし、'47年には日本国憲法が施行されました。そして、その翌年'48年には日本百貨店協会が設立されています。また、'50年には主婦の友が復活。その年に朝鮮戦争が勃発して、日本に特需景気をもたらしました。
'51年には高島屋の通販が復活。日本生活協同組合連合会が参入した'52年には、JRD社がレコードの通販を開始しました。'53年には大丸ホームショッピングが復活。そして、テレビの本放映が開始されました。
'54年にはムトウ、'55年には日本通信教育連盟が参入し、千趣会が頒布会を開始しました。東京タワーの完成で湧く'59年には再春館製薬所が参入してリキゲンを販売。'60年には所得倍増計画が発表され、カラーテレビ放送も開始されました。
'63年には西武百貨店、二光が通販に参入。東京オリンピックが開催された'64年には、ダイナースクラブのカード通販がスタートしました。
その後、'66年にはコロムビアファミリークラブ、サンレイ・ヤマコーが参入。'69年には東芝EMI、日経BP、ベネッセコーポレーション、日本フローラルアート等が通販に参入しました。なお、日本メールオーダーのブルワーカー、二光の音響機器、ギター、トランペットなどのヒット商品が出ています。
しかし、終戦直後の超インフレによるところも多々ありますが、戦後25年の間に'47年、'51年、'66年と郵便料金は3回値上げされ、さらに'72年、'76年、'81年、'93年と続けざまに上がっていきました。そのうえ、新たな郵便番号制定によって顧客データの改正が必要になったり、景表法が施行されるなど、通販を取り巻く環境は、相変わらず容易いものではありませんでした。
次回は1970年代以降の通信販売について見ていきます。