通信販売JAPAN history
第1章 明治・大正期の通信販売-3
2009/11/25

(11月25日更新)

■商材で異なる企業の戦略
ここで、明治・大正期に日本で実績をあげていた通販会社を整理してみましょう。
商材によってターゲットも違いますから、カタログなどの作り方や顧客への接し方にも工夫が凝らされていました。

【時計通販:天賞堂】
顧客を中流以上におき、広告を通じたブランド戦略を展開して発展しました。
美しいカタログと著名人の名を有効に使ったブランド戦略を実施。一切値引きをしない代わりに保証書を発行して品質の高さをアピールし、信用と企業イメージを高めて成功を収めたのです。

Ab154_l

・こだわりのDM
1882年(明治15)4月、銀座の印判店・天賞堂(創業者・江沢金五郎)が営業案内兼カタログを華族・官庁・企業・地方の地主等に送付しました。
「一流の品を作り、これを大規模に宣伝する」というのが天賞堂の戦略。印刻は天皇御璽制作者に、宣伝文は一流とされていた学者や文学者に依頼。25年にはこれらの名を連ねた広告を作成しました。これは、今でいうイメージ広告です。
こうした高級イメージを全面に押し出したブランド戦略で成功した天賞堂は、印鑑から時計へ、さらに宝飾品へと取扱品目を広げていきました。

・時計販売における企業戦略
時計の販売に際して、天賞堂がとった企業戦略は以下の通り。ここでも企業イメージの向上に力を注いでいます。
①広告第一主義  企業イメージを上げるように工夫。
②通販手法  代金先払い・商品後渡し。返品交換期間を30日と設定。
③正札主義の実行 1銭1厘たりとも値引きしない。
④出張販売  上流階級への出張販売実施。
⑤保存請負証書の交付 保証金を取って10~30年と超長期の保証書を発行。
⑥時計保険料金の返戻 明治25年に上記保証金を廃し、無償で保存請負証書を交付。

【製茶通販】
製茶の通販は、明治末期から大正初期にかけて盛んになりました。山城国宇治付近で、茶の販売を伸ばすために通販手法が取られ、古川七碗堂、林吾妻園、翠香園の三者が代表的な成功者でした。

林吾妻園の手法は、新規顧客獲得のために無料サンプルを配布するとともに、ディーラーヘルプのための広告を展開。同時に、継続顧客に対しては、売上高に応じて景品券を発行しました。また、年賀・暑中見舞い、水害などの災害時には慰問広告を出すなどしてパーソナル・コミュニケーションも図っています。
なお、同園や古川七碗堂では顧客名簿を各県別イロハ順に管理し、マーケティングに活用していました。

また、現存する翠香園は、1922年(大正11年)「旨いお茶を安く売る店」として通販DMを開始しました。広告郵便を使った2枚折り石版2色刷で代金引換を採用。広告郵便制度が廃止されるまでに約500万枚の広告物を配布し、3万人の顧客リストを獲得しました。そして、この3万人に対して愛茶家を紹介してもらう紹介制度でさらにリストを増やしています。
注文の少ない顧客には、隔月で「翠香茶報」という機関誌を送付。それでも受注がない顧客には「御用伺書」を発送して受注を獲得しました。顧客の脱落を防ぐため、「利益配分法」というスタンプ制度を実施したほか、年末大売り出しや初荷売り出し、新茶大売り出しなど季節ごとの年中行事も行いました。

このように、現在盛んに言われているCRMを、すでにこの時代の成功者は取り入れていました。成功するための根幹の法則は、今も昔も変わらないのです。

Ss108_l
その他、メールオーダービジネスの研究家でもある村田千太郎が店主を務める京都田辺の村田園では、広告郵便ではなく、ターゲットを絞った「三種認可の新聞を用いた宛名式新聞広告」で成功を収めました。
物価が下落し一般農家が大不況に見舞われていた大正初期、裕福で購買力のある官吏にターゲットを絞って部数2,000余部で期間注文数400(レスポンス率2割)を果たしました。村田は「宛名式新聞広告の有効なるとともに、宛先の選択は第一の要点たることを忘れてはならぬ」として、リストの絞り込みの重要性を指摘しています。

次回は、その他の明治・大正の通販成功例についてお話しします。