通信販売JAPAN history
第1章 明治・大正期の通信販売-1
2009/09/12

今、街の商店街には空き店舗が目立ち、百貨店やスーパーも苦戦を続ける中で、売上げを伸ばしている通信販売がますます注目されています。
過去を振り返れば、日本に通信販売は育たないとか、通信販売はインチキ商売と言われた時代もありました。しかし、実は明治の昔からきちんとした商売をして成功していた会社はあったのです。

そこで、日本における通信販売の成り立ちから、第二次世界大戦後のアメリカ型通販システムの流入、そしてここ30年くらいの単品通販の著しい成長を総括し、成功を勝ち取る方策とは何かを探りましょう。
成功した企業に共通する考え方を見つけたり、一時は栄華を極めた会社がどうして衰退していったのかを見つめ直すことは、これから通販企業を目指す方、そして今まさに立ち上げようとしている方のお役に必ず立つことと思います。

■通信と物流が通販の基
歴史を眺めてみると、イギリスでもアメリカでも郵便制度が整って情報や品物を届けることができるようになると通信販売が生まれています。それは日本においても同様でした。
つまり、情報の伝達と物流システムが通信販売成立のための必須インフラなのですから、情報伝達の方法がテレビやインターネットに変わったり、物流の選択肢にメール便が加われば通信販売のシステムや形態も変化します。この変化を的確に捉えて活用した会社が成功するのかもしれません。

■明治の種苗通販
日本の通販は、明治の初期に欧米視察団の一員であった農学博士・津田仙(津田塾大学創始者の津田梅子の父)によって始められました。

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米国の発達した農業をみて、農業革命の意欲に燃えていた津田仙博士は、麻布に農業講習所「学農社」を開講。同時に、広く農業知識を普及するために「農業雑誌」を創刊しました。そして、1876年(明治9年)発行の8号に、郵便による申し込みを受けて商品を送付する旨の「稟告」を掲載。これが種苗通販の始まりです。最初は「米国良種の玉蜀黍(1袋十銭)」を販売し、前金2,000円の売上げ。これが学校経営の大きな財源となりました。

その後、種苗通販は隆盛を迎えます。米ヘンダーソン社やバービー社(現存しています)などの外国カタログを直訳し、国産種子も加えたみすぼらしいカタログではありましたが、村々へと巡回され、「希有の珍種のごとく貴ばれて、甲より乙、乙より丙へと村中に引張りまわされ」大きな利潤を上げたそうです。

明治20年代の黄金期には、カタログの発行部数に対して注文数は5~6倍というデータもあります。いかに農民が新しい種苗苗木に深い関心を持ち、相競って購入したかがうかがえます。
しかし、こうして栄えた種苗通販は、相手を出し抜くことに専念する企業間競争が価格競争となってしまい、その結果、粗悪な商品を売る悪質な業者を出現させました。そして、そのことが顧客たちに不信感を持たれ、衰退への道をたどる羽目になってしまいました。

■総合カタログも登場
日清戦争後の1899年(明治32年)には高島屋、三越などの百貨店も種苗通販に参入。さらに新聞社、雑誌社なども加わりました。さらに、日本最初の通販専業企業の東京用達合資会社が誕生。20世紀の初頭には、アメリカで成功していたシアーズ・ローバックやモンゴメリー・ワードのような総合カタログを用いて、種苗だけでなく舶来雑貨などの通販も開始。売上げを伸ばしました。

明治37年1月の「商業界」誌上で三井呉服店理事の高橋義雄は、「覚悟せよ」という論文を掲載。東京の百貨店が地方商圏を掌握に収める旨の論旨を展開するほど、通販は活況を呈していました。
1910年に通信販売売上高日本一になった三越では、通販を戦略部門の一つとして位置づけており、国内だけでなく、台湾、朝鮮、その他の外国までをカバーしました。
三越が最初に出したカタログ「花衣」は、総ページ数365の豪華な冊子で、尾崎紅葉の小説なども掲載。その後、「夏衣」「春模様」「夏模様」を経て「時好」というカタログに行き着きますが、これには小説の他に流行情報なども掲載し、読む雑誌としても充実した内容でした。そしてモデルには、有名人令嬢や芸妓を用いていました。

しかし、当時の百貨店系の通販は、基本的には外商部門を拡大させたと考えた方が正しいでしょう。店舗の販売エリア外にあり、外商担当者が足を運ぶにも遠すぎる地方の資産家に、百貨店のブランドで物を販売するためのものだったと考えるのが正しい評価です。

このようにして、カタログ通販は効果的に機能しましたが、その背景には格安でターゲットをセグメントしてポスティングしてくれる「広告郵便制度」の存在がありました。これは郵便配達員がカタログに掲載されている商品に興味がありそうな家庭を選んでポスティングしてくれる制度で、リストの整備されていない時代には大きな効果を発揮しました。
資料によると、当時のリストは1件1円と大変高価だったのですが、この「広告郵便」は5~12銭でしたから、ダイレクトマーケティングが容易にできたそうです。大正14年に手間がかかるとして廃止されてしまったこの制度ですが、今後どこかの宅配便会社が復活させてくれるかも知れません。

しかし、これら明治期の通販も短命に終わってしまいました。そして、大正時代に入ると通販会社はバタバタ倒産していきました。その理由は、大恐慌に加えて、種苗通販と同様に悪徳商法の横行と顧客リストの重複、そして商品の重複だったのです。

次回は、成功者たちの通販事業心得や当時の通販への視線についてお話しします。